トビタテ!留学生に聞く

トビタテ!留学JAPAN日本代表プログラム(以下「トビタテ!」という。)

pt电子游戏_pt老虎机平台-下载*官网からは、2023年10月までに13名の学生がトビタテ!留学JAPAN 日本代表プログラムにて"トビタテ生"として選ばれています。応募を検討している人にはとても気になる県大の「トビタテ!」留学生たち。県大を飛び立った後、彼ら?彼女たちがどんな留学生活を送ったのかお伝えしていきます。

pt电子游戏_pt老虎机平台-下载*官网から羽ばたいた「トビタテ!」留学生に聞いてみました

トビタテ!留学JAPAN 日本代表プログラム 第12期生に聞いてみました

環境人間学部3年生(当時)湯浅梨花(ゆあさりんか)さんは、第12期、多様性人材コースの「トビタテ」生として2020年9月から採用されましたがコロナ禍のため留学期間を2022年2月~2023年1月へ変更しました。留学中は国立台湾大学にて学びを深めたのち、レジャーファームであるMei-Li Organic Farm有機生態農場で活動しました。湯浅さんが台湾でどのような生活を送ったのか、ご報告をぜひご覧ください。

湯浅梨花さんの「トビタテ!」体験記

学部:   環境人間学部環境人間学科 4年
氏名:   湯浅 梨花
留学期間: 2022年2月~2023年1月
留学先:  台湾:国立台湾大学/Mei-Li Organic Farm有機生態農場

トビタテについて

私は留学をするのに、「トビタテ!留学JAPAN奨学金」を受給しました。「トビタテ!」を受給するためには、出資している企業方々に対して、自分が留学することによって得られる成果が、日本社会に利益をもたらすことを証明する必要があります。私が留学に行くことで社会にメリットがあると論理的に説明できた場合のみ、受給できるのです。私は2年生の夏休みに、担当教員である三宅先生に指導していただきながら必死で彼らを説得するための論理を組み立てました。自分の「留学でしたいこと」を多角的に見つめ、自分のすることは誰のどんな利益と結び付けられるだろうか、どんな人の役に立てるだろうかと考えたあの経験は、一生の財産になるだろうと思います。

その後計画が認められて留学をしましたが、計画を実行する上でたくさんの障壁がありました。例えば、レジャー農場でインタビューをしたときに発生した、言語が通じない、アポが取れないなどの問題です。はじめは自分だけで何とかするんだと息巻いていましたが、どんどん苦しくなり、計画が全く進まなくなりました。ちょうどそんなとき、台湾人の友達が「助けようか?簡単な中国語を使って君に通訳するよ」と申し出てくれました。おかげでかなりスムーズにインタビューをすることができ、感激した私はその友達にお礼をするため「ご飯をごちそうさせて」とお願いしました。しかし、彼女は「いいよ、全然大したことじゃないから。いつでも言ってね。また今度私が困ったときに助けてくれたらいいよ」と断ったのです。台湾人にはかなり進歩的な助け合い文化があるようで、何か困ったらすぐに人に頼り、代わりにすぐに人を助けます。私はこの文化に感動し、もう少し気楽に人を頼り、人を助けるようになれたように思います。

留学先での取り組み内容、印象に残っている体験や出来事

台湾で主に取り組んだ活動としては、台湾独自の農村ツーリズムの形である「レジャー農業」についての調査です。台北付近にある3つのファームにてインタビューを行い、農場内を視察しました。1つは台湾で最も歴史があり、先進的な大規模ファームで、あとの2つは小ぢんまりとした、あたたかな雰囲気のあるファームでした。特に印象的だったのは、小規模ファームの経営者が非常にフレンドリーだったことです。「白石レジャー農場」という場所の経営者を訪ねた際、ノーアポだったにもかかわらず、快く1対1で話を聞かせてくれました。それだけではなく、無料でジャム作りやサラダ作りを体験させてくれ、豪華なご飯を2食分ふるまってくれたうえ帰り道を車で送ってくれました。言葉が分からない場面が多く、お互い苦戦しながらの意思疎通でしたが、経営者の方が一生懸命様々なことを伝えようとしてくださっているのが分かりました。外国人に対してここまでよくしてくれる台湾おもてなし精神に心から感激し、研究など、何かの形でこの恩に報いたいなと思いました。 

また、国立台湾大学でできた同世代の友達たちとの思い出も深く心に残っています。中国語の授業で出会ったフィンランド人のSunniちゃんは今でも頻繁に連絡を取り合う友達の一人です。一緒にご飯を食べたり、学校を探検したり、週末は一緒に旅行に行ったりとかなりの時間を一緒に過ごしました。意思の疎通がうまく取れず、すれ違いや誤解がおこるなどもありましたが、育った文化や言語の全く違う人と分かり合えた経験は自分にとって初めてでした。この経験から、言語に対する見方が変わりました。今まで机に向かって勉強する学問としてとらえていた中国語が、人と分かり合うための媒体に変わり、「言語を学べば世界中のもっとたくさんの人たちと分かり合えるかもしれない」と実感しました。

留学先で困難だったこと

国立台湾大学以外のことでは、フィールドワークが大変でした。私は、先述したレジャーファームへの調査とは別の活動として、台湾の果樹農家で2週間泊まり込みのボランティアを行いました。まず日本にいる間には、ボランティアを受け入れてくれる農家さんを探して、つたない中国語で台湾の農家に直接電話とメールをしまくり、断られまくり半ば絶望していました。20軒目ほどでついに受け入れてくれる農家を見つけたときの喜びは今でも鮮明に思い出せます。しかしこの農家さんのメールの返信が2週間に1回ほどだったため、コミュニケーションがうまくいかず、日程を何度も何度も変更し、2023年1月、ついに実習が実現しました。

この農家では、毎日朝6時にご飯を食べ、すぐ農作業に取り掛かり、日が暮れるまで働きます。私は夜になると毎日疲れ切って倒れるように寝ていましたが、おおよそ50~60歳ころのご夫婦は毎日元気そうで、圧倒されるばかりでした。台湾の農村のパワーを感じられたとともに、農村に住んだことで見えてきたことも多くありました。その中の一つに、農村の少子高齢化があります。ご夫婦の年齢はすでに述べた通りですが、台湾の農村では彼らが「若者」にカテゴライズされるほど、この問題は深刻です。ご夫婦は週に3回ほど、村の老人pt电子游戏_pt老虎机平台-下载*官网でボランティア活動をしておられ、pt电子游戏_pt老虎机平台-下载*官网でのご飯づくりや掃除洗濯などをされていました。私もそれに付き添い、お手伝いとしてpt电子游戏_pt老虎机平台-下载*官网の運営を手伝いました。かなりの激務でへとへとでしたが、その隙間にご老人と話す時間もあり、昔台湾を統治していたころの日本人の話や、以前の台湾農村の姿など、貴重な話を聞くことができ、日台関係について改めて考える機会にもなりました。

白石レジャー農場にて、経営者とジャム作り

留学を経験し、最も成長した点

最も成長した部分としては、論理的に物事を計画して、一つの筋に沿って実行する力です。また、周りに対して「助けて」と言える力もつきました。

2週間たった後、ご夫婦と別れるときは寂しかったですが、「やり切った」という充実感は大きかったです。

ボランティア先での写真

全体的な成長としては、留学をしたことで、自分が「できる」と思う行動の範囲が広がったように思います。留学前は一人で留学はおろか一人暮らしすらしたことがなく、どうしても親や周りに何とかしてもらおうという意識がついて回っていましたが、台湾では何もかもを自分で、もしくは自分でほかの人に頼んでしなければなりません。言語のほぼ通じない環境で、家を探し、友達を作り、フィードワークをし、インタビューをし、生活のすべてを自分で作り上げたという経験は自分に大きな自信をくれたと思います。

将来について

台湾のレジャーファームについて学んだことを日本でまとめて発表することは勿論、中国語圏の大学院への進学も考えています。いくつかの台湾のレジャーファームに訪れましたが、彼らの営業形態や提供するものはとても面白く、日本の農村にとって参考にできるものも多いと感じました。もう少し深く研究してみたいと考えています。将来は日本や台湾のお役に立てるように、自分の専門性を活かした仕事をできればなと考えています。

また、この半年、中国語を学ぶ中で、この言語の持つ面白さや美しさがどんどん見えてきました。特に、用の美といえるような「実用性」です。日本語は人の感情の機微を細やかに表す機能が非常に突出しているなと感じますが、中国語は素早く的確に情報を交換することに長けていると感じます。

例えば授業の休み時間など、国立台湾大学で同級生が中国語を使ってアイデアを出し合っているところをよく見ていましたが、そのスピード感はすさまじいです。会話のターンがくるくると変わり、次から次へと新しいアイデアが出てくる様子は活気にあふれていて魅力的でした。それだけに、中国語能力が足りず輪に入れなかった悔しさは今でも覚えており、もっと中国語を勉強して帰ってきたいという思いが芽生えています。

友達と

後輩へ

「まだ語学もできないし、今じゃなくても、社会人になってから留学すればいいや」。これは私自身が入学当初に考えていたことですが、いま私は大学生での留学に大きな価値を感じています。早くに多様な文化に触れることもいい経験になりますし、何より費用?準備の面での利点は計り知れません。県大から申し込めば大学の支援で準備も効率的です。費用や準備のことで悩まず、思い切って飛び込んでしまったらいいと思いますよ!

トビタテ!留学JAPAN 日本代表プログラム 第14期生に聞いてみました

国際商科学部3年生(当時)の田村華奈(たむらかな)さんは、第14期、新興国コースの「トビタテ」生として2022年3月~2023年1月末まで留学しました。活動-1であるウズベキスタンのリシタンジャパンセンターでの活動は2022年3月から2022年8月末まででした。フェルガナ州リシタンはウズベキスタン東部、フェルガナ盆地の南西端のキルギスとの国境付近に位置します。活動-2であるカンボジアでは、2022年9月~2023年1月末までNPOのもと農村部の教育?就労支援に携わりました。田村さんがどのような活動生活を送ったのか、ご報告をぜひご覧ください。

田村華奈さんの「トビタテ!」体験記

学部:   国際商経学部 3年
氏名:   田村 華奈
留学期間: 2022年3月1日~2023年1月31日
留学先:  ウズベキスタン:リシタンジャパンセンター/カンボジア:NPO 法人earth tree

動機

幼少期から発展途上国の教育?貧困問題や機会格差に関心を寄せていたのは、地方の母子家庭で育った私の家庭環境だと思います。「自分の目で世界を見たい」という大きな志に向け、沢山の本や論文、人との出会いを通し、刺激をもらいながら自己学習を繰り返してきました。大学進学後は、コロナ禍で色々なことが制限されたため、学外に目を向け、コロナ禍でも国際協力に携われるNPOやNGOに2年間ボランティアやインターンとして関わってきました。

また、中高時代から、周りからはみ出さないように、普通に擬態しなければならない日本の風潮に対し、違和感や生きづらさがありました。合理化が図られ、何かだけの関係や競争ばかりで、記号的なもので溢れている日本社会を飛び出したい想いも大きな原動力だったと振り返ります。

ウズベキスタンでの活動

ウズベキスタンでは「のりこ学級」という日本語学校で半年間活動しました。地方の貧しい家庭の子どもたちも無料で通えるようにと、日本人が設立したフリースクールですが、コロナ禍もあり現地で日本語を教える先生は誰1人おらず、運営危機に陥っていました。この状況を打開すべく現地に向かった私は、オンラインでは日本の日本語教師と繋ぎ生徒が学習できる環境を整え、現地では上級生が下級生に教えることをシステム化し、安定した学校運営ができるよう取り組みました。

のりこ学級

また、現地の子どもたちには計画性がなく、将来を描いて今すべきことが明確に見えないという現状があり、キャリア教育の必要性を感じたため、日本と繋いだキャリア教育の授業を展開しました。

さらに、日本に行く手段として、特に女性は留学か介護職しか道がないという課題がありました。金銭的な面から留学を諦めると、介護の道しかありませんが、ムスリムの女性にとって介護の仕事は簡単ではありません。現地の人の「選択肢を増やす」と掲げていた私は、前のインターン先でもあり、途上国の人材育成に取り組むNGOに、ウズベキスタンの現状を話しました。何度も対話を重ねた後、なんと何百万円もかけてNGOの方々がウズベキスタンへ視察へ来てくださったのです。プロジェクトは動き出し、のりこ学級から日本へ行く道を一枠作ることができました。女性の尊厳や物事の進め方など、様々な違いに苦しみましたが、たくさんの時間と心を注いだ半年間でした。

左:NGOのウズベキスタン視察時の写真/右:左端の彼の日本行きが決定?葡萄農家の19歳が日本で農業を学びます!

ウズベキスタンでの生活

生活の規範としてイスラム教という宗教があり、響き渡るアザーン(礼拝時の呼びかけ)や壮大なモスク、厳格なムスリムたちは、私にイスラムの真髄を見せてくれました。心惹かれる伝統的な手仕事や、なりふり構わず人を助ける現地の人々のとめどない愛にたくさん触れ、全身で受け取ってきました。効率性を超える心の豊かさや温かさは、「表面的な需要は満たされているような今の日本の生活は豊かなのか」という大切な問いに気づかせてくれました。

恍惚となるモスクの内装

カンボジアでの活動

カンボジアではearth treeというNPOでインターンシップをし、農村部の教育?就労支援に携わっていました。インターンの主な活動はSNS運用やイベント企画、村の中でのインタビュー調査でした。これらの活動を遠し、貧困と教育課題の関連、人の死の近さや医療の脆弱性を知りました。しかし、活動の中でインターン先の事業に不安感を持った私は、自分の心の納得感が得られない仕事には力を出せず、色々と迷惑をかけてしまいました。自分の意に沿わないことをやれなかったことは、思い起こす度に胸が痛いですが、それは自分自身の確かな気持ちに気づかせてくれた時間でもありました。何が好きで、何が嫌いで、何がやりたくて、何がやりたくないのか。そして、もがいていた時に助け舟を出してくれたのが、在カンボジア日本人コミュニティの方々でした。強固な支柱なんて持ち合わせていなくて、こんな風に鳴かず飛ばすであった時期も、無尽蔵の愛を共有してくれ、丸々含めて華奈だと受け止めてくれた人たちの存在に本当に助けられました。手放しで私を応援してくれる心強い存在は、自分が動けばそれに呼応して周りも必ず力を貸してくれることを教えてくれました。

インタビュー調査での1コマ

カンボジアでの生活

感覚や予感で動く生存能力の高さ、お茶目で愛らしい現地の人々。完全にカンボジアの虜でした。毎日がアドベンチャーで不自由を楽しむカンボジアでの日常は私にとって腑に落ちた日常となりました。月並みな表現にはなりますが、紛れもない豊かさに身を置き過ごした日々は何にも代えがたい特別な時間だったと思います。

カンボジア人現地スタッフや在カンボジア日本人の方々との1枚

トビタテについて

競争が激しい現代で、1つの分野で突き抜けることは難しいです。しかし、自分なりの留学プログラムが作れるトビタテでは、「組み合わせ」が可能です。異なる分野の経験やスキルを自分なりに組み合わせ、それらを掛け合わせて課題解決に寄与できる人材である、「それは私だけだ」と主張してみてください!

留学で学んだこと
  • 体得した学びを書ききることは到底できませんが、1年を通して頭の中に常にあったことは、「発展途上と呼ばれる国にいても、貧しさを感じないのは、何故だろうか」という問いです。何もないからこそ、何でも自分達の手で作りあげる、彼らの逞しく自立した姿があるからでしょうか。小商いが失われておらず、小さい商売であっても彼らの暮らしがあるからでしょうか。その答えにはいくつもの理由があると思いますが、思考を張り巡らせ出した自分なりの"貧しさ"はこれまで抱いてきた定義とは異なりました。"貧しさ"とは、お金の有無で計るものではなかったのです。それ以上に、人との繋がりが希薄になり、気づかぬ間に人との間に線ができ、孤立を感じ、問題が生じる現代の日本社会の方がよほど貧しさを感じます。便利で効率化を目指すと起こる巨大化や画一化、ディスコミュニケーションなど、私たちの日常の中に飢えているのは、人との結びつきだという自分なりの学びを得ました。

     

  • 私が見た2か国の美しく洗練された文化の裏には、多くの理不尽がありました。世界への不平等感や不公平感が高まる日々でしたが、社会課題に取り組む上でどんな姿勢が必要か考える時間となりました。私が自分の心を守り、保つためには、変えられるものを変えようとする勇気や熱い想いと変えられないものを受け入れる冷静さ、いわば冷たい客観性、これらの両者を識別する知恵を持つことが必要でした。社会の中の定数と変数を明らかにし、変数の部分にエネルギーを使おうと決められたことは、重要な分岐点となりました。

これから

今でも留学当時の記憶を敬愛し、心震える場所で現地の人と伴走する活動ができたこと、関わってくださった全ての方々に感謝しています。困難な環境に身を置き、痛みや苦しみに苛まれながらも、そこから自己や周りの環境、世界を理解していくことができました。現在、私は在日外国人支援の国際協力NGOの活動に携わっています。この1年を通し、たくさんの傷と向き合ってきたことが、今の私を支え、主眼に歩みたいと思う道に導いてくれました。

これから挑戦する皆さんへ

留学を通し、判断材料を増やし、比較対象をたくさん作ることで、自分というものや身の回りの環境を批判的かつ懐疑的に思考することができ、それらは自分に何かしらの変化や成長をもたらしてくれます。やりたいことや自分自身がいま見えていなくても、探し続け行動する中で少しずつ「彫刻」のように形作っていけるものだと思います。皆さんの挑戦を心から応援しています。

トビタテ!留学JAPAN 日本代表プログラム 第11期生に聞いてみました

応用情報科学研究科(当時)の学生(匿名希望)さんは、「トビタテ!」の第11期理系、複合?融合系人材コースの未来テクノロジー人材枠にてアメリカのカーネギーメロン大学に留学しました。2020年1月から12月までの1年間の予定でしたが、pt电子游戏_pt老虎机平台-下载*官网の影響を受け、オンライン授業へ変更になったり、その他様々な変更を余儀なくされました。情報セキュリティ分野において専門的スキルを身につけ、また世界トップレベルの大学院での学位取得という大きな目標に向かって、彼は懸命に努力を積み重ねてきました。自分に対して妥協を許さない彼はどのような留学生活を送り、どのような学びを得たのでしょうか?

応用情報科学研究科の学生の「トビタテ!」体験記

学部:   応用情報科学研究科
留学期間: 2020年1月~2020年12月
留学先:  Carnegie Mellon University, Information Networking Institute

留学の動機と概要

私の留学は一言で表すと学位留学です。自身が所属する二重学位プログラムの一環で、米国Carnegie Mellon University (以下CMU)に留学しました。私がこのような留学を志した動機は、自身が専攻する情報セキュリティ分野において、世界トップレベルの大学院で実践的なスキルを身に付けたいと考えたからです。

私は大学院で暗号分野の研究室に所属し、複数のセキュリティ関連企業でインターンシップをする中で、より実践的なサイバーセキュリティ技術を学びたいと考えるようになりました。

しかしCMUへの学位留学にあたっては、①正規学生と同等の入学審査をパスしたり、②超高額な授業料を奨学金でまかなったり、③卒業要件として良好な成績を維持したりと、超えるべき障壁がいくつも存在しました。幸いなことに、①と③については指導教官やプログラム同窓生に助言をいただきながら自分自身で努力を重ね、②についてはトビタテ!等の奨学金団体に支援いただくことで、最終的に何とか情報セキュリティ分野の修士号をCMUで取得することができました。(写真は所属研究科の卒業式)

また留学中に、プライバシー保護とデータの利活用を両立させる秘密計算技術の研究に取り組み、研究成果を学位論文として発表しました。具体的な研究成果としましては、対象データを暗号化したままでAIを学習させるプロトコルを、独自のデータ構造を用いることで、効率的に実現することに成功しました。

生活環境

CMUのあるピッツバーグは、米国北東部に位置し、夏は涼しく、冬は極寒の気候です。幸い、留学した2020年は暖冬であり、1月になってから一、二度雪が積もる程度で冬を超すことができました。またピッツバーグは、元々鉄鋼の街として栄えましたが、現在は医療産業都市に生まれ変わり、高齢者が多く暮らしている治安の良い街です。(写真はピッツバーグの街並み)

そのため留学期間中は、治安面と気候面には苦労せずに、勉学に集中することができました。日本人が恋しくなる日本食についても、日本人が経営する日本食スーパーが2km圏内にあったり、ラーメンや海鮮丼のお店が近くにあったりと、それ程口寂しくなることはありませんでした。ただし、生活コストが日本の倍近くかかるため、節約を兼ねて、食事はほぼ毎食自炊をしていました。勉強が忙しかったこともあり、簡単に調理できて味付けを変えやすいパスタを毎日食べていました。

学習環境

CMUは校訓が、My heart is in the workであることから伺えるように、米国大学の中でも特に詰め込み式の教育を特徴とする大学です。そのため24時間快適に学習できるような環境が整っており、例えばキャンパスの至るところにWifiに接続できる自習スペースがあったり、深夜に自宅付近までバスで送迎してくれるサービスがあったりします。私自身は、コロナの影響もあり自宅で勉強することが多かったのですが、学期期間中は起きている時間は全て勉強にあてるような生活が続きました。

続いて、CMUの授業の特徴を述べさせてもらうと、私が取っていた授業の多くは、ハンズオンの課題や期末プロジェクトがあるものがほとんどでした。(写真はCMUの遠隔授業風景)これは日本の大学教育と異なる点で、アメリカでは産業界のニーズに合わせてより実学重視の教育をしている印象を受けました。その中でも特に印象に残っている科目は、デジタルフォレンジックの科目で、様々な演習課題を通して、実践的なフォレンジック技術を学ぶことができました。

例えば、中間レポートにおいては、架空の被疑者から押収したパソコンのディスクイメージから犯罪の証拠を収集したり、期末プロジェクトにおいては、ストレージ領域で断片化しているファイルをAIを用いて分類する研究に取り組んだりすることができました。

留学を通して学んだこと

私が留学を通して学んだことは、大きく5つあります。一つ目は「多様な価値観の尊重」です。例えば、私が履修したデータ分析の授業では、所属や国籍がバラバラな学生とグループプロジェクトをする課題がありました。そこで、MBAの学生と工学系の学生で意見が対立した際には、(たとえ専門的な視点では相手の主張が的外れに思えても)お互いが相手の価値観を尊重して、建設的な議論を展開していたことに感銘を受けました。二つ目は「グループ?スタディの有用性」です。

米国では、Academic Integrity Violation (AIV) という、課題や試験に対するズルを厳しく取締りますが、AIVに違反しない範囲で、学生同士で課題を教え合ったり議論をしたりすることは、より理解が深まることを実感しました。三つ目は「割り切って前を向くことの大切さ」です。非常に競争的な学習環境を生き延びるコツとして、7割のものを早く仕上げることを心掛けることで、結果的に良い成績を維持できることに気付かされました。四つ目は「リスクマネジメントの実践」です。

私はコロナの影響で、奨学金を継続受給できるか、米国に再入国できるかが不透明な状況で、一時帰国を決行しました。その際にリスクマネジメントは、個人の場合は価値観、企業の場合は企業理念と表裏一体であることを、実感しました。

五つ目は「オタク文化のパワー」です。日本人よりも日本のアニメに詳しい中国人学生が多数存在したり、INI ( Information Network Institute )の自習スペースにNintendo Switchがあったりと、オタク文化が国際交流の円滑油になることを体感しました。

トビタテ!の価値

トビタテ!の価値としては、奨学金を除くと、トビタテ生同士のネットワークの価値が最も大きいのではないかと思います。

私は主に留学の前後において、トビタテ生のネットワークに助けられました。例えば、留学前にトビタテ生の自主コミュニティである「とまりぎ」のイベントに参加した際には、CMUに留学していた学生を紹介してもらうことができ、現地の生活環境について事前に情報を入手することができました。

また帰国を検討していた際には、空港でのコロナの検疫対応やホテルでの隔離対応について、既に帰国したトビタテ生のSNSグループで情報を共有してもらえたため、安心して帰国することができました。

感想と総括

私が留学した2020年は、コロナの大流行、黒人の暴動、アメリカ大統領選と波乱の年でした。コロナの影響は、大学生活にも及び、3月中旬(春学期の後半)からは、キャンパスの立ち入りが禁止され、原則オンライン授業になりました。

それにより、現地学生と対面で十分に交流を深めることができなかったのは残念でしたが、コロナ流行前に親しくなった中国人やインド人の学生と、コロナが落ち着いたタイミングで一緒に外食をしたり、シリコンバレーを旅行したりできたのは不幸中の幸いでした。

またCMUに留学している、日本人PhD学生やMBA学生と知り合ったり、CMUの日本語の授業にボランティア講師として参加したりと、日本関連コミュニティとも交流することができました。

黒人の暴動については、自宅から2km圏内のスーパー近くでデモが起こり、州兵が催涙ガスを散布する事態も目撃し、危険を感じました。(写真は州兵出動の様子)大統領選では、留学していたペンシルベニア州はSwing Stateとして注目され、アメリカの政治的分断を実感しました。

トビタテ!留学JAPAN 日本代表プログラム 第11期生に聞いてみました

工学研究科1回生(当時)の石本睦(いしもとあつし)さんは、第11期理系、複合?融合系人材コースの「トビタテ!」生として2019年9月~2020年2月までデンマーク工科大学にて留学をしました。デンマーク工科大学はデンマーク首都地域の一つである、コンゲンス?リュンビューにあり、石本さんはヘルステクノロジー部門?IDUN研究グループのエドウィン准教授のもとでマイクロ流体デバイスに関する研究とその技術を研究員として学びました。

今回の留学は石本さんにとって初めての海外経験であり、パスポートを取得することからスタートしました。石本さんがどのように留学生活を過ごしたのか、ご報告をぜひご覧ください。

石本睦さんの「トビタテ!」体験記

学部:   工学研究科 1回生(当時)
氏名:   石本 睦
留学期間: 2019年9月1日~2020年2月1日
留学先:  デンマーク工科大学(DTU)ヘルステクノロジー部門/IDUN研究グループ

動機と研究内容

私の留学は簡単に言うと研究留学なのですが、「この方のもとで学んでみたい」というのが留学へ踏み出した一番の動機です。当初は留学する気は微塵もなかったのですが、研究室の准教授の方がある論文を見せて下さり、その著者であるエドウィン准教授のもとで学びたいという想いが芽生えてきました。

また、もう一つの理由として、自身の研究分野は日本での研究例が非常に少なく、留学先となったデンマークをはじめ、ヨーロッパでは自身の研究分野はかなり盛んなので、最先端の技術を学んでみたいということもありました。

私の留学における目標は「デンマーク工科大学で、CDやDVDドライブに搭載されている光ピックアップユニットの原理を理解?応用し、自らの研究であるCD型デバイスによる医療検査技術の確立に組み込む」ことでした。CD型デバイスとは、内部にナノメートルからマイクロメートルの流路や構造を有したCD型化学分析装置のことであり、回転駆動によって化学反応を起こすことで化学的な操作を自動化し、熟練者のスキルによらず、迅速な医療検査が可能になります。この技術が確立すれば、充実した設備を持つ医療施設でしか出来ない血液検査等がごく簡単に実施できるようになり、検査の項目や場所、測定者は問わず、検査時間の短縮、その場での検査で人々の健康増進に一層寄与するという概念である「ポイントオブケア」の大きな前進に繋がります。

去年の9月ごろ、研究室の先生が読ませて下さった論文がデンマーク工科大学のものであり、CDプレーヤーやDVDプレーヤーがディスクから情報を再生したり記録したりするための部品である光ピックアップユニットの原理を化学センサーへ応用するという内容でした。デンマーク工科大学では化学センサーの開発に対して、自身がまったく考えたことが無かった光学的分野からのアプローチで進んだ研究をしていること、また、自身の研究内容が化学センサーに関するものであるということ、どちらもデバイスの内部に微細な構造を有していることなどからデンマーク工科大学と自らの研究に共通点を見出し、これからの産業にとってより良い成果を挙げることにつながると確信をもって今回の計画を考えるに至りました。

副次的な目標としては、研究において古典的な考えや狭い視野に縛られず、一見無関係に思われる他分野にも積極的に関わって研究に取り入れていく能力を身に付けたいと考えていました。様々な分野からアプローチを試みる習慣を身に付け、そこから得られる研究成果を活かして日本社会における、どこでもいつでも臨床検査ができるという概念である「ポイントオブケア」の前進に大きく寄与したいと考えていました。私は現在、誰もが臨床現場で予防診断が可能となるような端末の開発を目的として日々研究をしています。血液検査を始めとする様々な予防診断は、基本的にある程度設備の整った病院などの施設でしかできず、離島や過疎地域などでは定期的な予防診断は容易ではありません。もし、誰もが気軽に血液検査や疾病診断などを自分自身で調べることが出来れば、大きな施設が必要なくとも定期的なヘルスケアが可能になります。デンマーク工科大学ではその前身となる機器を教授と共に開発し、実験とその検証を行いました。

「トビタテ!」生同士の交流

「トビタテ!」では、合格者には留学の前後に研修が用意されています。留学を有意義なものにするため、また、留学先で得たものをアウトプットするための機会です。様々な留学内容の「トビタテ!」生とグループを作り、交流するとともに沢山のディスカッションやグループワークを行ないます。研修は事前研修?事後研修共に2日間?朝から晩まで行われ、非常にしんどいものでしたが、本当に楽しかったです。

デンマークに渡ってからは、日本人の方と出会うことはほぼありませんでしたが、1月ごろにフェイスブック上の「トビタテ!」生のコミュニティでフィンランドにてオーロラ観測の募集があり、そこに参加することが出来ました。出会う「トビタテ!」生たちはみんな初対面でしたが、とても仲良く過ごすことが出来、無事にオーロラの観測もすることが出来ました。

留学にあたって

自身の研究室の先生と、デンマーク工科大学の先生の間に交流があり、私のデンマークへの留学が決まったのですが、その手続きというものは私が考えていたよりもはるかに大変なものでした。滞在に関しての荷物を準備するのは特に問題ありませんでしたが、居住許可を得るための申請が特に難しく、申請に関しての詳しい方法はインターネット上でも情報が少なく、デンマークの入国管理局からもなかなか連絡が来ないので申請にはすごく時間がかかりました。

デンマークで味わった「違い」

今回の留学先であるデンマーク工科大学は、首都コペンハーゲンから北の、コンゲンス?リュンビューというところにある大学です。一般的な工学分野だけでなく、環境工学や風力エネルギー部門など、環境を意識した分野も多数存在しています。

デンマークを始めとした北欧の国々は、福祉が充実していることで有名ですが、デンマークでは、住民登録したならたとえ外国人でも医療費は無料です。実際に留学の終盤に食あたりを起こしましたが、お金を払うことはありませんでした。ほかにも、生活様式や価値観など、日本と違うところはたくさんありました。留学においてそういった違いについて考えることも楽しいものだと感じました。

初めての海外生活

そもそも、私は海外へ行ったことがありませんでした。デンマークは英語が通じるのですが、特に英語がペラペラなわけでもなく、また、デンマークについてさほど詳しくもありませんでした。到着してすぐはスマートフォン回線の契約をどこですればよいかも分かりませんでしたので、あらかじめ印刷していた地図で下宿先にたどり着きました。

留学が終了するまで、細々とした問題はたくさん出てきました。役所での住民登録だとか、いつも日本で使っていた調味料がどこにも売っていないだとか、デンマーク語の難解さなど、本当に大変で、何度も周囲の人に頼るシーンがありましたが、みんな嫌な顔一つせず、親身に話を聞いてくれました。帰りたいと思った日もありましたが、やはり楽しい日々でした。

研究グループでのインターンシップ

私の場合は留学先で授業を受けて単位を取得するような形の留学ではなく、大学内に存在する、国と共同で研究を行っている機関のもとでインターンシップを行うというものでした。特に決まった時間に来なければならないわけではありませんが、毎週の研究報告があるので、だらだらとはできません。最初は会話もままならず、研究の進め方もつかめていなかったので研究グループ内の雰囲気もどちらかというと会社じみていたのですが、毎週金曜日は大学内のバーにみんながお酒を飲みに行ったり、ほぼ毎日14時ごろにはみんなで集まって軽いお茶会のようなものをしたり、ゆったりとした時間も過ごすことが出来ました。また、直属の上司である准教授はとても優しく、研究を非常に円滑に進めることが出来ました。

留学において終始問題となったのは、やはり言語の壁でした。「トビタテ!」に応募した段階で会話フレーズの勉強やオンライン英会話などを度々していましたが、実際に留学が始まって会話になると、話すべきフレーズがとっさに浮かんでこず、会話のテンポがどうしても悪くなってしまうことが多々ありました。また、私が所属することになった研究グループでは、お昼ご飯は基本的にみんなでテーブルを囲んで食べるのですが、英語でのジョークや笑い話など、少し言い方を変えられたり、早口であったりすると全く内容が分からなくなることもありました。次第に慣れていくことは出来ましたが、最初のうちは何度か気まずい思いも味わいました。

自分にとっての留学の価値

私にとって今回の「トビタテ!」を利用した留学は、「一歩踏み出した経験がいいものになった、今後の自身の振る舞いに良い方向に作用する重要な経験」であると考えています。従来保守的な私にとって、自身で留学計画を練り、容易ではない奨学金を獲得し、単身初めての海外留学で5か月間過ごしたというのはとても大きな意味を持っています。

一歩踏み出せたことが重要なだけでなく、留学先でなんとか論文の執筆までこぎつけ、また、ある程度客観的な成果を出せたとして留学先の博士課程にも勧誘されました。「お金さえ払えば行ける留学」ではなく、自身にとって間違いなくプラスになる経験が出来たと思っています。踏み出していい結果が得られたというのが何よりも自分にとって価値があったと感じています。今後社会に出ていく上での良い自信になりました。